石原さとみ
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私も子供時代あまり幸せではなかった。
というか幸せではないことすら自覚してなかった。
でも夫と暮らして大事にされていくなかで、初めて自分が可哀相な子供だったと思えた。夫は
「子供は愛を食べるだけの存在。沢山与えてから大人にしないとダメ。
嫁ちゃんは子供の時食べ足りなかったから、僕が与え続けるからね。
うちの子(3人います)の長女として4人分、おなか一杯になるまで返さなくてもいいよ」と言ってくれた。
色んな話を沢山する中でサラッと言ったので
夫は覚えてないかもしれないが、私は一生忘れない。
書いてて目汁が出そうだw
H△G × ORESAMA - Dreamin’ Pops by ibnualhusein on #SoundCloud
20世紀の心理学者たちは、「人間が1日に使える意思決定の量は限られている」ことを発見しました。つまり、朝、どの服を着ていこうかとか、あるいはLINEでどう返事をしようかと意思決定するたびに、わたしたちの心はすり減っていくのです。
1日に許された量の意思決定を使い果たすと、あとは理性ではなく欲望がわたしたちを支配するようになります。その結果、余計な買い物をしたり、暴飲暴食をしたり、あるいはイライラして相手につらくあたったりするのです。
1日の終わりに「ああ、今日も疲れたな」と思わず口にしてしまうのは、そういうわけなのです。
幼稚園の時シスターに「嫌いなおともだちがいるの」って言ったら、小さい声で「きらいでもいいのよ。親切にしなさい」って言ってくれて安心した。天国に行けないんじゃないかと心配したのです、純真だったなぁ。
美輪さんのツイート (via xomorickyxo)
私がまだ女学生だった頃ネ‥‥、
そりゃ、可愛かったのよ。
いろんな人が、君はカワイイ。
付き合ってくれっていいよってくる。
もてもてだったワケよね。
でも、みんな自分のコトしか言わないの。
映画を観にいこうよととか、
喫茶店にいきませんかとか
自分のしたいことを言う。
あなた達のお父さんはネ、今でこそ、
人前でしゃべることを仕事のようにしているけれど、
昔は寡黙で何を考えてるかわからないような人だった。
でも、笑顔がキレイでネ。
ボソリと聞くの。
今度のお休みに何をしたいですか? って。
私はしたいことがたくさんあった。
でもそのほとんどが、ひとりじゃできないコトで、
だから「何をしたいの?」と聞かれたときに、
あぁ、この人と一緒だったら
シアワセになるかもしれないなぁって思ったわけよ。
あら、惚気話になっちゃった。
愛されて育ったひとは自分に自信があるから容姿が多少アレでも表情とか仕草が魅力的だしひとから愛されることに慣れてて愛されることを疑わないからすごく付き合い易い。赦されてきてる分、同じようにひとを赦せるからますます愛される。愛されないで育ったひとはその逆。負のループ。いたたまれない。
Twitter / @ロッタ☆ (via chihanos)
思春期に教えたほうがいいと思うのは「正しく仲良くならない方法」。距離の置き方と言い換えてもいい。人間関係って全員と仲良くなれるわけじゃないのは当然として、「近づく」「離れる」よりむしろ「適度な距離をキープすること」が一番難しい。まずは「それは難しいけど正しいことだよ」と教えたい。
(via muhuhu)
妻と結婚する前、待ち合わせに10分遅れると連絡があったので駅で待っていたら中年夫婦に「道を教えてもらえませんか?」と話かけられ、歩いて5分のレストランだし 一緒に話しながら行ったんだけど、その先になぜか笑顔の妻がいて「お父さん、お母さん。私の彼氏どう?」って試されたことがあった。
Twitter / shin5mt (via igi)
その先生が五年生の担任になった時、
一人、服装が不潔でだらしなく、どうしても好きになれない少年がいた。
中間記録に先生は少年の悪いところばかりを記入するようになっていた。
ある時、少年の一年生からの記録が目に留まった。
「朗らかで、友達が好きで、人にも親切。 勉強もよくでき、将来が楽しみ」
とある。間違いだ。他の子の記録に違いない。先生はそう思った。
二年生になると、 「母親が病気で世話をしなければならず、時々遅刻する」
と書かれていた。
三年生では
「母親の病気が悪くなり、疲れていて、教室で居眠りする」
後半の記録には
「母親が死亡。希望を失い、悲しんでいる」
とあり、四年生になると
「父は生きる意欲を失い、アルコール依存症となり、子どもに暴力をふるう」
先生の胸に激しい痛みが走った。ダメと決めつけていた子が突然、
深い悲しみを生き抜いている生身の人間として自分の前に立ち現れてきたのだ。
先生にとって目を開かれた瞬間であった。
放課後、先生は少年に声をかけた。
「先生は夕方まで教室で仕事をするから、あなたも勉強していかない?
分からないところは教えてあげるから」
少年は初めて笑顔を見せた。
それから毎日、少年は教室の自分の机で予習復習を熱心に続けた。
授業で少年が初めて手をあげた時、先生に大きな喜びがわき起こった。
少年は自信を持ち始めていた。
クリスマスの午後だった。少年が小さな包みを先生の胸に押しつけてきた。
あとで開けてみると、香水の瓶だった。
亡くなったお母さんが使っていたものに違いない。
先生はその一滴をつけ、夕暮れに少年の家を訪ねた。
雑然とした部屋で独り本を読んでいた少年は、気がつくと飛んできて、
先生の胸に顔を埋めて叫んだ。
「ああ、お母さんの匂い! きょうはすてきなクリスマスだ」
六年生では先生は少年の担任ではなくなった。
卒業の時、先生に少年から一枚のカードが届いた。
「先生は僕のお母さんのようです。
そして、いままで出会った中で一番すばらしい先生でした」
それから六年。またカードが届いた。
「明日は高校の卒業式です。僕は五年生で先生に担当してもらって、
とても幸せでした。おかげで奨学金をもらって医学部に進学することができます」
十年を経て、またカードがきた。
そこには先生と出会えたことへの感謝と父親に叩かれた体験があるから
患者の痛みが分かる医者になれると記され、こう締めくくられていた。
「僕はよく五年生の時の先生を思い出します。
あのままだめになってしまう僕を救ってくださった先生を、
神様のように感じます。
大人になり、医者になった僕にとって最高の先生は、
五年生の時に担任してくださった先生です」
そして一年。届いたカードは結婚式の招待状だった。
「母の席に座ってください」
と一行、書き添えられていた。
